学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)

 京大研倫安第55

平成3128

満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会

事務局長 西山勝夫殿

京都大学副学長(研究倫理・安全推進担当)

野田亮

学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)

標記のことについて、貴殿より要請のありました学位論文の検証につきまして、平成30918日の本学コンプライアンス推進本部連絡会において、要請を研究活動上の不正行為に関する通報として取り扱うこととし、予備調査を実施しました。この度、その予備調査が完了しましたので、下記のとおり結果をお知らせします。

なお、本通知の内容に異議がある場合は、本通知を受けた日から7日以内に当職宛てに本件事務担当を通じて異議申し立てをすることができます。

 

対象論文「イヌノミ」 Ctenocephalus canis Curtisの「ベスト」媒介能力に就ての実験的研究 

結果:本調査は実施しない

理由:貴殿から提供のあった資料及び現在の学術的な観点から、研究不正の合理的根拠とされている「発症サルの頭痛を把握するのは不可能ではないかということ」及び「発症サル中1 (10匹附着のもの)39度以上を5日間持続したこと」についての検証を行い、以下の結果を得たため。

 

(1) 発症サルの頭痛について

言葉を話さないサルが頭痛を感じているかどうかを科学的に適切に評価することは容易ではない。しかし、痛覚を伝える神経伝導路はげっ歯類からヒトを含む霊長類を通じてよく保存されていることから、「サルにもヒトと同様に頭痛がある」と考えることは神経生理学的に妥当である。一方で、現在においても動物モデルにおける頭痛の評価法は、重要な課題と考えられている。

多くの動物モデル研究はマウス、ラットなどのげっ歯類を用いて行われている。そこでは「頭痛様行動」として、痛覚過敏(患部への接触に対する防御反応の閥値低)、活動量の低下、後肢による顔のグルーミング行動、苦痛の表情(験を閉じたり、鼻を膨らませたりする)、不安様ないしは穆様行動などが挙げられている(文献‍12)。一方、片頭痛に限定すれば、動物モデルにおいて電気生理学的な脳波計測によって観察される広範な大脳皮質領域での活動抑制(cortical spreading depression‍=CSD)が、より客観的な指標として使用されるようになって来ている。しかし、感染性の頭痛においては、そのような生理学的指標は使えないため、上記の行動観察、そしてそれらが治療薬によって軽減されたことをもって判断がなされている。確かに霊長類を対象とする頭痛モデルについて記載した文献は見いだせないが、行動観察によって実験動物に頭痛が生じていると判断する手法は、不完全であるにせよ、一定の妥当性をもって現在も用いられている。

対象論文に関する実験において、当時、著者がどのようにしてサルの「頭痛」を判断したかは記載されていないが、何らかの行動指標によって頭痛が起きているものと判断していたと推察することができる。

以上を総合すると、サルの頭痛を評価することはできないということを根拠として対象論文が「サルを対象とするものではなかった」と断定することはできない。

 (参考文献)

1. Erdener SE et al. (2014) Modelling headache and migraine and its pharmacological manipulation. Br J Pharmacol. 171:45754594 

2. Chou T-MC hen S-P(2 018) Animal models of chronic migraine. Current Pain and Headache Reports22 :44.

 

(2) サルの体温について

サルの体温は種によって異なることや日内の変動幅が大きいにもかかわらず、対象論文において、実験で用いたサルの分類学上の記載がなく、「さる中1 (10匹附着ノモノ)39度以上ヲ5日間持続シ」 と記載されている点について、fusei「実験用サル類における生理・行動指標の日内変動ならびに保定馴化に関する研究(学位授与番号:乙第12200号、学位授与年月日:‍1995315)」を調査すると、3種類のサルの昼間の高体温は自由に活発に活動している状況での体温測定の結果であった。また、体温の測定部位はツパイでは腹腔内、リスザルとアカゲザルでは頚背部の皮下組織内であった。腹腔内体温は皮下体温と比較するとアカゲザルの場合は約0.75℃腹腔内体温が高いことが近年の論文‍(参考文献3) で実証されており、また龍味氏も学位論文の中で同様に測定部位の違いによる体温差があることをコメントしている。龍味氏はサルの体温に関する研究をさらに進め、アカゲザルを昼間にモンキーチェアで保定した場合にも同様に38℃の高体温が持続することを観察しているが、同時に心拍数が上昇し、また細かい体動が持続し、さらに血液検査ではクレアチンキナーゼ、GOTGPTLDHの上昇がみられることより、アカゲザルは相当な興奮・ストレス状態で保定されている状況での観察結果であると判断している。龍味氏はさらに研究を進め、モンキーチェアへの保定を継続すると馴化によって次第に体温を含めて種々のパラメーターが安定することが観察されたと報告している。具体的には毎日8時間の保定を5日間継続し、その後は‍9日間の自由活動をさせ、さらに5日間の保定を反復して行うと、反復保定の後は‍37℃の安定した体温を維持するようになり、同時に心拍数と体動も低下し、クレアチンキナーゼ、GOTGPTの安定化が得られた。以上、龍味氏の学位論文におけるサルの体温に関する実験結果をまとめると、サルの体温は、夜間は低く昼間は高いサーカデイアンリズムを有するが、昼間の高い体温はサルの活動状況に左右され、もしも室内で静かにしている場合には夜間の体温よりは高いものの安定した37℃前後の体温であることが理解できる。一方、ヒトの体温に関しては、龍味氏の引用論文(参考文献4) にもあるように36-37℃の聞で変動し、夜間の低体温と昼間の高体温の温度差が0.8℃存在するサーカデイアンリズムを有していることが報告されている。以上をまとめると、ヒトもサルも体温のサーカデイアンリズムを有し、サルの体温の測定条件によってはサルの昼間の体温変動はヒトの体温変動と似ている場合があると判断することは可能である。

一方、感染実験の環境下におけるサルの体温については、例えば、下記参考論文5‍では、平熱は昼夜の差はあるものの、平均して36.5℃ (35.3-37.7"Cで変動)である。そして、HIVウィルスを感染させると38.9℃に上昇したと記載されている。

したがって、サルでも感染によって体温が39℃以上に上昇することはあり得ると言え、当該特殊実験がどのようなサルを用いて、どのような方法で、いつ体温を測定したのかは不明であるものの、実験対象(サル)39℃以上の体温を5日間持続させること"はあり得ないとして実験対象がサルではなくヒトであると結論付けることはできない。

 

(参考論文)

3. Michael A. Taffe(2011). A Comparison of intraperitoneal and Subcutaneous Temperature in Freely Moving Rhesus Macaques. Physiology and Behavior 103(5)pp . 440444 

4. Ashoff J and Wever R.(I976). Human circadian rhythms: a multioscillatorysystem. Federation Proc. 35: 2326-2332.

5. Horn TFW et al. (1998) Early physiological abnormalities after simian immunodeficiency virus infection. Proc Natl Acad Sci USA95 :15072-15077.

 

(3) 結論

本件における研究活動上の不正行為とは論文中の「 特殊実験j の項に用いられた実験動物のサルは実はヒトでなかったか"という点である。

研究不正の検証にあたってはも当該研究が行われた環境についての憶測を根拠にすることは不当であり、研究結果が、科学の合理性から明らかに逸脱していることを証明しなければならない。したがって、上記「3. 調査結果」を踏まえると、本件論文中「 特殊実験」に使用された動物がサルであるということを明確に否定できるほどの科学的合理的理由があるとは言えず、実験報告の捏造・改ざんであるとまでは断定できない。

したがって、要請書におけるねつ造の疑いの根拠には本調査を要するほどの科学的合理的理由がないことに加え、著者に対するヒアリングも不可能であり、また、対象論文を科学的に検証するための実験ノートや生データが存在しないことから調査を継続することは不可能であり、本調査は実施しない。

 

(以上翻刻、満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会事務局)

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